7-23(15回目)

7月23日の講義は株式会社サイトフォーディー代表 隈元章次さんによる講義でした。

今の現代はスポーツが金になることをやっと知ってきた!と隈元さんははじめにおっしゃっておりました。最近はプロ野球Jリーグ、卓球など7つのスポーツ分野のビジュアライゼーションを積極的に展開しているそうです。
 そのスポーツにおける可視化では、選手側にとっては可視化したデータから選手の特徴や改善案の提案を探ることができると言います。近年まで、アナログな手法で分析が行われていたため分析に時間が掛かり、最もデータを活用したいレース中には役立てられない状況だったと言います。リアルタイムでの分析が可能となった現在は、レース運びも以前とは大きく変わったと言います。スポーツの観戦者側にとってデータの可視化は、試合展開や今後の予想を分かりやすく伝達することに長けており、一層試合を盛り上げる役割を果たすと言います。

 

感想:

今回の講義で様々な分野でデータの視覚化が有効に活用されていることを知りました。特にスポーツ観戦中におけるデータの可視化は、観戦している側を楽しませる為にどのようなデータの提示方法が適切であるか常に検討がなされていることが分かりました。

 多くの人が自分自身でデータを見ることが可能になったことが、データの可視化に大きな価値が生まれたように感じました。それと同時に、非常に多くのデータを容易に得ることが可能になった為に、何が正しいもので有効であるか見極めることが非常に難しくなりつつあるのが現状だと感じています。電子機器等の発達・普及により、個人のデータ発信が今以上に増え、社会を取り巻く環境が更に変化していくと感じました。今後は個人向けのサービスでデータの視覚化がより一層盛んになっていくのではないかと考えました。このような状況を踏まえると、ソフトとハードを関連付けたデザインが重要であることが理解できました。

7-02(12回目)

7月02日の講義は株式会社タピエ代表の玉井 恵里子さんによる講義でした。
 
 タピエという名前は、動物が3文字しか覚えられないこと、好きな小説などからつけたそうです。タピエという名前をつけたことによって、その名前にふさわしい仕事や生き方をするようになったとおっしゃっていました。
 雑貨の提案・販売の企画は1999年に大阪南船場タピエスタイルを出店したところから始まったと言います。独自に企画された雑貨製品を販売するスタイルは今までに無く、セレクトショップの走りだったと言います。原動力は、美術大学で培った能力と自らの趣味を効率的に生かせる仕事をしたいと考えたことにあると言います。無印等の雑貨の普及、そしてリーマンショックによる不景気の到来により、百貨店の求める雑貨店の特性が変わったと言います。どこの百貨店に行っても同じ店舗があり、購入できるものが代わり映えしないことに店舗の魅力を失いつつあったと言います。そこで、独自に企画したタピエスタイルが大手百貨店に出店、独自のキャラクターを見出され広く認識されるに繋がったと言います。

感想

今回、玉井さんのお話を聞いて、自らの意志を強く反したデザインを手掛ける為の最大の近道が、独自に会社を構え企画から販売に至るまで広く深く製品に関わることだと分かりました。そして、その仕事が他分野にも応用できる場合があることが分かりました。他人よりも能力の高い分野を知る為には、それを取捨選択できるだけの経験を積むことが重要だと再認識しました。自分が好きなモノばかりに執着するがために、柔軟な視野を失い問題解決の糸口を失うことが多くあったことを思い出しました。様々な事物・行為に対して興味を持つことは、新たな知見を得られると共に、興味ある分野にも繋げられることもあり非常に有益なものであると感じました。これらに加えて、自身の選択した道を真っ直ぐに進み続けられるだけの意志の強さ、そしてとことん探求のできる職業であることが重要だと感じました。これから自分が何をしたいのか、そのためには何が必要とされるのか、この機会に改めてよく考えてみたいと思います。

6-25(11回目)

6月25日の講義は、株式会社中垣信夫デザイン事務所/代表 中垣 信夫さんさんによる講義でした。

今回、講義をして下さった中垣さんはグラフィックデザイナーである。中垣さんは自分のことを「クソジジイ」だとおっしゃっていた。それは蔑みではなく、それが1番の価値であると言っていた。その言葉には古いことを知っていたり、誰よりもたくさんの経験をしているという意味があるそうだ。

中垣さんは文化は手によって紡がれていくものだと述べていた。アナログな物作りを行うことによって人間は様々な道具を工夫を凝らして作っていく、そうするとそのための筋肉が育ち、人間に蓄積される。文化というのは育つのに時間がかかるというのは人間の成長するスピードによって左右されるからであるということであった。

昔の携帯は色々な形や色をしていたが今の携帯はみんな四角くて薄い黒色の板にしか過ぎず、中身だって同じようなアプリケーションのデザインで形もおないものばかり。色々なところで様々なアイデアが生まれてもどんどん時間が経つに連れてそれは収束していってしまう。それが今なのだとおっしゃっていた。それでいいのか?今のデザインはそれでいいのか?と中垣 信夫さんは声を大にしておっしゃっていたことが私はとても共感し、感銘を受けてしまった。とても今のデザインを昔のデザインという文化と照らし合わせ分析をしており、とても考えさせられる1時間半の講義だったと思う。

時代の進むスピードはとてつもなく早く、技術革新も凄まじい勢いで起こっている。
が、それと比例するように私たちはそれに飲み込まれてしまってはいけない。
デザインは化学のようなもの。失敗したっていいから実験を行うことが大事なんだ。
何度も何度も実験をして失敗してそれを繰り返すことで新しいものができるんだ。
だから君達も手をまずは動かせ。考えて手を動かしたその先に、デザインは待っているんだぜ。

6-18(10回目)

6月18日の講義は建築家・プロダクトデザイナーの黒川雅之さんによる講義でした。


黒川雅之さんの考えるデザインとは「事件」だとおっしゃっていました。
デザインは想像が起きないドキっとするデザインが新鮮な感覚が与えることができるという。ドキっとするデザインとは、どのようなデザインがドキっとさせているのか日頃から考える必要があると感じた。また、自分もドキッとするデザインを行うことが大事なのだと考えさせられた。今現在、ものにあふれていて多くの人が、モノのデザインに対して慣れているので、そんな中、ドキッとするデザインができたら、それは、デザインをする者として成長できると私は考えました。

また黒川さんはデザインを行う際、「原体験」を考えると述べていました。何かをデザインするとき、その行為の原型を考える。その原型を考えることでその行為自体がどのような流れで今の形に行き着いたのかということまで調べていくので、行為についての知識が膨大に増え、どのような方向に転換できるかという思考につながるとおっしゃっていました。
講義後に山崎研究室で懇親会があったのですが、そこでもとても興味深い話を聞くことができました。最高でした。

 

「私はね、もう図面だけ見ればその空間が見えるんだよ。だからね、私が図面を引いている時もね、スーッと1本の線を引くだけでもすごく重く感じるんだよ。だってスーッと線を引いて10mって書くとするじゃない?そしたらそれを作る人がいるわけだからね。作る人のことを考えたら、軽々しく線なんて引けないよね。」

6-11(9回目)

6月11日の講義は、株式会社 西村拓紀デザイン西村 拓紀さんによる講義でした。

 

西村拓紀さんメーカーに勤めていた際はプロダクトデザインをしていたらしく、プロダクトデザイナーとしてデザインしたものはエンジニアの手に渡り、次に製品開発へ行き発売前になって初めて実物が見れるんだとおっしゃっていた。西村拓紀さんは製品が作られる工程も見てデザインしたいと感じ独立したとおっしゃっていた。

西村拓紀さんは様々なプロダクトをデザインしており、きっとどこかで見たことがあると思う。JRに置いてある自動販売機であったり、2次元と3次元の融合したようなバーチャルアシスタントのGateboxであったりと、中山はGateboxに少し前から興味があったのでとても謎の躍動感に満ち溢れた。

 

西村 拓紀さんは1を0にすることをデザインを考える上で大事にしているとのこと。
0から1はよく聞いたことがあったが、0から1にして考えるということを聞いたときは、正直私もポカーンとしてしまった。
1を0にすることののやり方は、例えば相手のクライアントが欲しい!と思ったことを1とした時に、仮にそれを「手術中に座れる邪魔にならない椅子が作りたい」とする。その後クライアントと話す中でその人の原動力で本質的な価値である0を発見するそうです。その相手の0である原動力を見つけ出して探してあげることで当初から抱いていた1が再構築されてまた新しい1が生まれる。そんな相手の原動力となる0を見つけて探し出すことが西村 拓紀さんは得意だとおっしゃっていました。1から0にすることということは、その相手の本質的な価値が何なのかを見つけ出してあげることが大切だということでした。

そういう発想を私は考えたことがなく、0から1を作り上げることがデザイナーだと考えていた私の概念は木端微塵に打ち砕かれました。その発想で相手に原動力を提供し再構築させることができる人に私もなりたいと思い、今回の講義は私の中の概念の枠も変えてくれる大きな講義でした。

 

6-04(8回目)

6月04日の講義は、防災ガール田中 美咲さんによる講義でした。

 

防災ガール代表である田中美咲さんは東日本大震災をきっかけに会社を立ち上げたそうで、その当時の日本はテレビをつけてもACのコマーシャルばかり、ニュースは地震の話題で持ちきりでバラエティ番組などは自粛ばかりで世間一帯が鬱っぽく感じられたとおっしゃっていました。私も東日本大震災を経験したあの当時は、自身の街は平気だったがニュースなどで被災地の状況などを見た際はとても重く悲しい気持ちになったことを覚えています。


そもそも防災は古いという考えが強く根付いていると田中美咲さんはおっしゃっていた。防災訓練を実施しろと言っているのも、防災に関する資料を作ったりしているのも40代〜50代の世代と内容もそうだがイメージとしても古臭いというイメージが強い。
その中で防災の業界を変えていくことを田中さんは行っている。防災に関しては小学・中学校の時の避難訓練を最後に行ってないイメージがある。私自身も防災訓練を最後にしたのは中学時代だったかもしれない。世間としてもそれは常に同じやり方で古く思われるかもしれない。そうした時にどうやって防災意識を子供達だけはなく、私たちのような防災訓練を忘れた大人なたちにも植えなければいけないのか考えることが必要だと感じました。


日本は大変な事が起きてからそれを防ぐ動きをする文化がある。だが、そもそも事が起きる前から防ぐことが大事でそれが防災なのではないかとおっしゃっていました。
それにはとても共感しました。確かに日本は川が氾濫したら大きな堤防を作ったり、それこそ大きな地震が起きたら防災だ!防災だ!と大きな声をあげたりと、どこか日本の中では「未然に防ぐ」という意識が欠けているのかもしれないと実感させられました。
また、震災から生き延びたのに、食料不足や劣悪な環境下などで亡くなられることが多く、それはあまりメディアでは取り上げられないという。そういったことも含めて防災や災害に備えるといった意識や世間の常識を考えていかなければならないと私は感じた。

5-21(6回目)

5月21日の講義は、NPO法人WELgeeの渡部 清花さんによる講義でした。

 

講義のテーマは「難民」で、とても難しいテーマなのかなと講義を聞く前まではそう思っていたのですが、聞いてみるととても身近でとても考えなければいけないテーマなのだと改めて気がつかされることが多かったです。

日本にいると気がつくことができないような難民問題でしたが、聞いてみると難民の人たちは私たちのすぐ近くにいて、また同時に苦しんでいる実態を目の当たりにすると私も何かできないかという衝動にかられてしまいました。

難民とはまた違いますが、私のアルバイトしているマクドナルドという会社では、外国籍の従業員も多く、フィリピン人、モンゴル人、ベトナム人、ネパール人、ウズベキスタン人、中国人、韓国人、朝鮮人と、1つの店舗だけでASEANが開けるのではないかというレベルです。

そのため、私も様々な国籍の人と話す機会がとても多く、言葉の壁や文化の違い、もちろんVISAの話もあちらこちらで飛び交っています。

そのため、今回の難民問題のお話についてもきっと一緒に聞いていた周りよりも特に心に打たれていたのは私だったのではないかと思います。

 

私が去年付き合っていた彼女はマクドナルドで知り合った25歳のフィリピン人の女性でした。まだ日本にきて1週間で日本語は喋れず、英語と母国語であるタガログ語しか喋れませんでした。

LINEは全て英語でしたが毎回翻訳をしてどうにか意思疎通をはかったり、日本の文化を教え、日本語もたくさん教えました。ですが苦ではありませんでした。

私自身、異文化の違いなどはそれこそ新しい刺激でとても興味を持ってしまう人で、だからこそ、難民で苦しんでいる人を考えると私自身何かできないかと考えてしまいました。

今回の講義は本当に考えさせられるテーマでした。日本という国が、私という一人の人間が何かできないかと考えさせられるテーマでした。